マイストーリー

My Story

時期/できごと

1972

福井県の兼業農家に生まれる。

小学校

学業もスポーツも得意ではなく、いじめや万引きなどの不良行為を繰り返し、その結果として大きな怪我を負うなど、数々の不幸に見舞われました。小学5年生の時には、後遺症が残るほどの重傷を負い、深い挫折を味わいました。幼いながらにして、自分の行いがいずれ自分に返ってくるという世の中の因果律、すなわちカルマの法則を身をもって理解しました。

これらの経験を通じて、人に対して「無害」であることが生きていく上での基本であると学びました。怪我による入院を含む辛い時期を乗り越えた後、ある意味で過去の経験が浄化されたのかもしれません。6年生になると、運気が好転しました。理解ある教師や良い友人たちとの出会いに恵まれ、学校生活が楽しくなりました。勉強の競争やライバルとの切磋琢磨の楽しさを知り、初めて勉強に楽しみを見出すようになりました。

中学校

公立中学校に通っていました。3年間を通じて、ほぼ常に学年トップの成績を保っていました。試験での上位者は名前が校内に掲示されるのですが、そのことが私にとっては大きな誇りでした。トップを維持する喜びを追求し、一生懸命に勉強を続けました。生徒会副会長に推薦され立候補したものの、残念ながら落選しました。

しかし、学校生活は決して順風満帆ではありませんでした。クラスメイト、友人、そして教師からの妬みや嫉妬を多く感じました。一部の教師からは否定的な言葉を投げかけられ、深く傷つくこともありました。今振り返ると、信じがたい環境にいたと感じます。このような環境は、自己肯定感を高めるどころか、自己否定を植え付け、その後の人生にも暗い影を落としました。

高校

県立のトップ校に進学しました。成績は上位3%以内を維持していました。中学時代とは異なり、クラスメイトや教師の質が格段に高くなったことを実感しました。何度かクラス代表を務める推薦を受け、自己肯定感も向上しました。環境と周囲の人々が、人を形成する重要な要素であることを改めて感じました。

勉強に関しては、学校の授業に加えて通信教育も活用しました。1年生と2年生の時は進研ゼミを、3年生の時にはZ会に加入しました。深夜、ラジオを聴きながら勉強するのが習慣でした。特に鴻上尚史と辻仁成のオールナイトニッポンを好んで聴きました。その番組の影響で、第三舞台の脚本を読んだり、ECHOESを聞いたりするようになりました。また、辻仁成のすばる文学賞受賞をリアルタイムで知り、受賞作『ピアニシモ』もすぐに読みました。

大学受験では、東京大学文科三類を志望しましたが、実力不足で不合格となりました。私立大学の受験は行いませんでした。

予備校

代ゼミの特待生として合格し、代々木校に入学しました。百合ヶ丘にあるシャワーとトイレが共同のアパートで生活し、代々木まで通学していました。授業料は約7割免除されました。東大京大文科LAコース1組に在籍し、著名な講師陣による授業を受けました。これまでの高校の授業とは一線を画す、高度で刺激的な内容に衝撃を受けました。模試で上位に入り、図書券やバインダーなどの記念品を何度か受け取りました。数学では全国一位になったこともあります。

生活費の足しにと新聞配達のアルバイトを始めましたが、ストレスが原因で不整脈を起こし、約1か月で辞めました。予備校時代は、友達を作らず独学で勉強を進めていましたが、今振り返ると、仲間と共に受験戦争を乗り越えるべきだったと感じています。

東大の再受験には失敗しました。特に、東大国語と東大英語速読は、どれだけ努力しても成績が伸び悩みました。努力では越えられない壁があることを実感しました。また、自分は文系よりも理系が適していると気づきましたが、その気づきが遅れました。受験の失敗から、自分の適性を理解することが、この世での成功への鍵であることを学びました。

さらに、将来何をしたいのか、どのような職業に就き、何を生活の糧としてやりがいを感じるのかを真剣に考えてこなかったことも、失敗の一因だと思います。

大学

慶應義塾大学経済学部に進学しました。

大学受験の経験から、集中力を向上させるためには体力づくりが大切だと感じ、空手サークルに入り身体を鍛えることにしました。

また、どういうわけかサークルの友人や先輩など何人かの人から、ホストや黒服が向いてそうだと言われました。おそらくビジュアルや雰囲気からそう思われたのだと思うのですが、周囲からそういったメッセージが複数来るというということは、そういった職種への適性のサインだと考えるようになりました。そういう背景もあって、渋谷のフェルガや六本木のギゼというディスコで黒服のアルバイトを始めました。

大学3年時より、公認会計士試験の勉強を開始しました。水道橋のTACに通い、毎日10時間ほど九品仏の学習室で勉強していました。また、座禅サークルに入って、座禅をするようになりました。鎌倉円覚寺で、学生大攝心(居士林で行われる2泊3日の坐禅会)に参加して、禅の修行僧の生活を一通り体験しました。

公認会計士試験は、訳あって、継続できませんでした。これが大きな挫折となるのですが、詳細は割愛します。絶望からの回帰が、当面の人生のテーマになりました。

学生時代にできた友人とは疎遠となりましたが、今はSNSで繋がったりしています。

社会人

IT企業に入社し、システムエンジニアとしてのキャリアをスタートさせました。文系出身であったため、技術や業務内容に慣れるまでの最初の3年間は、苦労の連続で、精神的にも大変な時期を過ごしました。その間、心療内科のサポートを受けることもありました。新卒から3年後、外資系IT企業への転職を果たしました。転職により年収が大幅に上昇し、待遇も改善されました。その時、初めてキャリアを本格的にスタートさせたと感じました。

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2000年夏ごろ、28歳のときにセラピストの仕事を副業ではじめました。

セラピストを始めた理由をよく聞かれます。

理由の一つは、外部環境の変化で、インターネットの普及です。当時からインターネットでは、極めて少数ですが、女性向けの性的サービスを行っているサイトが存在していました。初めてそうしたサイトを見つけた時の衝撃を憶えています。当時、女性向けの性的ヒーリングサービスは、潜在的な需要があるにもかかわらず、それがまだ顕在化していない領域でした。また女性と施術者にプライバシーが要求されるが故に、実店舗型ではなく無店舗型で、インターネットを通じて会うという形態が、こうしたプライベートなサービスにはマッチすると思いました。

二つ目の理由は、私自身の趣向で、性的ヒーリングへの関心です。私は女性が好きでした。そして心身のヒーリングに関心を持っていました。自分を癒すことを優先し、そして癒された自分の存在を使って、女性の癒しに貢献できないだろうかと考えました。他者を癒すことは、実は自分を癒すということです。女性と互いに癒し合う関係を作りたいと思いました。

そして今日に至るまでセラピストを続けている理由は、この仕事が私の天職だからです。

任天堂の故岩田社長は 「自分はそんなに頑張ってるつもりもないのに、周りが褒めてくれる仕事が、おそらく皆さんの天職だと思う」と言っています。その仕事に向いてるかどうかは、自分だけで分かるものではなくて、他者からの認められ方で分かるものではないかと思います。

「お客様の声」に、2000年から現在に至るまで、頂いたメッセージを掲載しています。失敗もたくさんしましたし、迷惑もかけたと思います。しかし、これほど長期間に渡って、そしてこれほど多くの女性から、愛のあるフィードバックを頂けているセラピストは、他にいないのではないでしょうか?その事実が、私に天職だと感じさせる十分な理由なのです。

頂いたメッセージは私の宝物です。

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セラピストを始めて、明らかに人生に光が差し込んできたように感じました。

サラリーマンは、結局のところ組織の中での取り替え可能な部品に過ぎません。サラリーマンだけをしていたら、自分自身を表現できずに人生の流れも停滞してしまっていたと思います。

セラピーを通じて女性と会い、自分を表現することで、自分の中の「龍」が発動してきたのだと思います。魂の望むままに自分が表現したいものを表現する、したいことをすることで、人生にある種のリズムが生まれました。

1990年代に、大きな挫折を経験し、先の見えない絶望のトンネルを歩いてきた私が回復できたのは、女性たちの力によるものでした。彼女たちの支援を受けることで、自分自身と再接続することができたのです。その悦びを通して、自分の潜在的な力を思い出すことができたのです。

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2000年から2005年にかけて、キャビアアテンダントの友人がこのサイトに手記を寄稿し、それが大きな反響を呼びました。その結果、エッセイをまとめた単行本『幸せを取り戻したいあなたへ』を出版するに至りました。

2005年の夏頃、様々な理由から約1年半、セラピスト業を休止しました。

その期間、スピリチュアル関連の自己啓発を深めると共に、友人であるヒーラーの影響を受けてレイキを学びました。武蔵境にあるスクールで、ファーストからサードまでのアチューメントを受けました。また、ドリーン・バーチューのエンジェルカードリーディングも学びました。

タロット占い師のお客様の影響で、銀座にあるタロット大学(現在のイシス学院)でタロット初級コースを受講しました。更に、矢澤フレイ伸恵先生のワークショップで催眠療法についても学びました。

2007年にセラピストとしての活動を再開しました。その頃、出会ったお客様が当サイトに数多くの詩を寄稿してくださいました。その詩たちは後に詩集として出版されました。

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以下は、私の人生の大まかな振り返りです。将来的には、これらの出来事についてもっと詳しく、丁寧に回想する予定です。

2008年にはリーマンショックの影響を受けつつ、転職活動に奔走しました。

2009年は人生の大きな転機で、結婚し、転職を果たし、長男が誕生しました。また、セラピストとしての仕事を一時休止しました。

2010年、ハワイで結婚式を挙げる夢を実現しました。

2011年は東日本大震災という未曽有の災害を経験し、再び転職活動を始め、FX取引を開始しました。

2012年には再び転職し、東京から石川県への大きな引っ越しを経験しました。

2013年、次男が誕生し、家族が増えました。

2016年、別居することになりました。

2017年にはセラピストとしての仕事を再開しました。

2018年、離婚しました。

2019年、世界はコロナ禍に見舞われました。

2021年には、農業の勉強を始めました。

これらは私の人生の大枠をなす出来事ですが、各々が私にとって大きな意味を持ち、今後詳細に振り返ることで、さらなる理解と洞察を深めたいと思います。

 

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