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次の記事は、ダイアナ・ローズ・ハートマン氏の記事「Sacred Prostitutes」を翻訳したものです。女性性の解放と復活について、性的エネルギーや女神、タロット、SM、オカルトなど、多方面に及ぶ知識に基づいて語られており、興味深い内容となっているので、ここで取り上げたいと思います。

元記事

序文

「神聖娼婦」この言葉を聞いた人のほとんどは、眉をひそめたり、しかめっ面をしたりするでしょう。「娼婦」と聞くと「お金の為に売春をする人」とか、ハリウッドスターの登竜門とか、田舎に住む主婦たちの秘密だとか、そういうことを連想してしまうものです。「神聖」と聞くと、預言書とか儀式とか、聖人とかを想像しますね。あとは、聖山とか綺麗な川など。一体誰が、「娼婦」が神聖だと想像できるものでしょうか。

性的な力を発揮できるようになった女性は、ビッチだとか、ダイク(レズビアン)だとか、ボールバスター(威嚇的な女性)などと呼ばれて貶されるのが常です。性に開放的な女性はかつて「女神の器」として崇められていた存在でした。それが現代では邪悪な誘惑者として見られており、「男性とセックスしなければ天国に行ける」とまで言われている始末。イスラム教徒にとっての天国はまた別です。その天国とは、男性が招待されるタイプのクラブで、そこではいつでも処女の若くて綺麗な女性たちで溢れているそうです。イスラム教徒の女性は、魂がないと見なされています。

ユング族の心理学者ナンシー・クールズ=コルベットは、「神聖娼婦とは、儀式や心理的発達を通して自身のセクシャリティの霊的重要性、つまり自分の真のエロティシズムを理解し、それを個々の状況に応じて実践する女性のこと」と表現しています。この定義でいえば、神聖娼婦は、至高神に至るための悟りの手段としてセックスを用いるということになります。キリスト教原理主義者は、天の王国への扉は火と水から生まれ変わった人々にのみ開かれると信じています。タントラのような隠秘学や魔法団などでは神聖娼婦が実に尊重されており、燃える性的情熱の炎や、洗礼の水に浸る性的儀式などを行う伝統があります。そして女性の身体に女神が宿る時、「聖なる性」の重要性が明らかになるのです。神性を経験するように私たちを説得します。すべての女性に宿る女神が尊ばれるとき、「性は聖」であるということが明らかになります。

したがって「神聖な娼婦」という言葉はなにも矛盾していないのです。「売春婦(prostitute, whore,harlot)」という言葉の語源を調べてみると、比較的最近になって「巫女(priestess)」という言葉と別たれていったことが解ります。

 

 

マーリン・ストーン著の『神が女だった頃(When God Was a Woman)』という本によると、ヘブライ語で娼婦を意味する「ゾナ(zonah)」という言葉には、売春婦と予言者の両方の意味があるのだそうです。

 

 

バーバラ・ウォーカー著の『神話・伝承事典―失われた女神たちの復権 』によると、ヘブライ語の 「hor (=whore 英語で娼婦のこと)」は洞窟や穴窪を意味する言葉だそうです。スペイン語では娼婦のことを「puta」と言いますが、これはラテン語で「井戸」を意味する「puticuli」に由来します。ですがラテン語においてその言葉にはもっと深い意味があります。それは、文字通り「地球の穴」、つまりは「再生の子宮」という意味がある言葉なのです。もちろん、これらの言葉は軽蔑的な意味合いで使用されていませんでした。

さらにこのラテン語の言葉は初期サンスクリット語で書かれたヴェーダにも使われており、そこでもこの「puta」という言葉は純粋で神聖なものとして定義されています。洞穴や穴、底なしの黒い湖といった意味がある言葉には、「女性」を表す意味が含まれています。すべての生命 (光)生まれし暗黒の根源としての「彼女」、大女神の暗喩です。彼女は全であり、無です。Hole(穴)-y、Holy(聖)、Wholly(全)。ゆえに神聖娼婦は女神の化身だったのです。

一見忘れ去られてしまったように思える神聖娼婦ですが、今日でも伝統として残っている部分もあります。ユダヤ教の結婚式では「ホラ」という民族舞踊がありますが、元々この名前は聖なる娼婦にちなんで名付けられたものです。

その頃の聖なる娼婦たちは「神の花嫁」として尊敬されていました。今では修道女たちが「キリストの花嫁」と思われているように。聖なる娼婦たちは、神の子を身ごもる存在と見なされていました。言い換えれば、動物としての人間を神としての人間へと変容させる仕事を彼女らはしていたのです。

権力を持った初期キリスト教徒たちは、西洋文明において神聖娼婦が冒涜とされる職業と見なし、女神信仰や自然崇拝などを異教徒扱いして次々と廃止させていきました。巫女と娼婦の概念の分離も、ここで起きました。具体的に言えば紀元600年頃、初期教皇評議会です。元々の新約聖書には、マグダラのマリア罪深い売春婦だとする記述は何もありません。他の福音書などの文献で示唆されているように、彼女自身は霊的な指導者として活躍していました。

ウェスタの乙女と性魔術

バビロンの女神イシュターは知る人ぞ知る大娼婦であり、娼婦(Harlot)の中の娼婦として、女神Harという呼び名すらあります。娼婦といっても、今日考えられているような売春婦という意味ではなく、彼女は巫女であり、魔女であり、予言者であり、ヒーラーでもありました。イシュター、アシェラ、アフロディーテなどの女神は神聖娼婦としても知られる一方で、神聖な「ヴァージン(乙女, 処女)」としても知られていました。よく知られている「ウェスタの処女たち」は女神ウェスタの性魔術の秘儀を継承した乙女たちでした。この女神は古代ギリシャの処女神ヘスティアと同一の女神でした。ヘスティアは炉の女神であり、炉は常に家の中心に坐すことから、「世界の中心の女神」とされていました。

この場合の「処女」とは、性交をしたことがない女性という意味ではありません。自分自身の所有権を他の誰にも明け渡さない、未婚の女性のことです。結婚で自分自身を誰かに明け渡すのを拒むために崖から飛び降りた乙女神アテナなどもそうです。ヘブライの伝統にも似たような話があります。リリスは男性優位の宣教師たちの社会の中でアダムに服従せよという命令を拒み、自分の主権を手放さないために自らを天国から追放しました。

激しい行動を起こす彼女ですが、何も人間嫌いというわけではありません。巫女たちの役割とは、自分の身体をそれに値する男性と性的に結びつけることによって、神の恵みをお互いに分かち合うことでした。

霊魂の新たな生命を得るために、洞窟や穴、湖や川などの「子宮」に見立てた空間に入るという欧州独特な風習は、新石器時代(紀元前15,000年~5,000年)にまで遡ることができます。この時代では「神・女神」とされる存在は主に女性でした。よって、「神々」といえば女神様の旦那様のこと、あるいはその息子であるホルスやイエスを指していた時代でした。分離した極性を再結合してみましょう。聖母マリアを、マグダラのマリアと再統合してみましょう。そこに現れるのが進化した人間である、神聖娼婦です。

全てのはじまり

大いなる女神は万物全てに宿り、その子どもは自己実現を達成した人間(男性と女性の両方)を象徴していました。女性の方が女神の力をより容易に使うことができると考えられているのは、女性の方が女神と同一視されることが容易だからという理由です。実際、古の時代の女性たちは女神と部族とを結ぶ仲介者となっていました。男性が過補償(弱点や過失を補うために逆のことを過度に行うこと)によってこの男女のバランスが崩れ、男性は女性たちを下層階級に追いやるという結果になりました。なぜ男性は女性を恐れることになったのか。それは、一部の男性が女性だけが使える魔法、特に出産能力、血液、直感的才能などを恐れていたからとも考えられています。

科学が無かった時代、男性から見た女性はまさしく神秘に満ちた存在であり、魔女そのものでした。女性たちは月の満ち欠けに合わせて血を流したり、女性同士で同調して一緒に血が流れたりしたりするのを見て、男性は畏敬の念に駆られていたのです。女性たちは赤ん坊を産み、胸から生命維持のためのミルクが流れ出ました。男たちが狩りに出かけている間、女たちは近くを探検して食物を集めたり、薬草の知識を得ていました。男性が蛇にかまれたら、魔法の治療薬を作って治療したのも女性でした。女性は神の知恵と通じていたのです。デルフォイの神託所では巫女が蛇神ピュートーンから神託を授かり、エデンの園でイブは蛇から忠告を聞きました。恐らくその頃の女性が生まれつき女神をその体に降ろすことができたと言われていたのは、彼女らの薬草の知識に秘密があるはず。植物には想像力を掻き立てる向精神的植物も含まれているからです。

神が女性であった時代、女性は社会的にも優位に立っていました。神とお話をしたい男性は必ず女性を通して行わなければなりませんでした。女神の男性信者たちは神殿巫女(娼婦)たちへ贈り物を持ってきて、神殿内で苦痛を伴う屈辱的な儀式を受けて、それを何年も続け、ようやく女神の力と接触が可能になります。他にも、現代の魔法使いや魔女が「真我」とか「ハイヤーセルフ」とか、「聖なる守護天使」と呼ぶ存在と会うにも、同じ行程を踏む必要があったのです。

女神神殿の巫女

巫女たちは自らの命と体を女神へと捧げました。歴史の父ヘロドトスの記述によれば、バビロニアの花嫁たちは一夫一婦制を認めず、怒れる女神をなだめるためにも、結婚前の7日間は女神寺院で娼婦の仕事をするよう法律で義務づけられていたそうです。彼女らは聖なる娼婦として時を過ごし、乙女であることを祝福しました。神殿娼婦という職業はまた、自分自身の権利を守ることを望む女性たちの避難所にもなっていました。古代ギリシャでは、娼婦たちは法律的にも政治的にも男性と同等の社会的地位を維持していましたが、一方で男性の家庭に入った妻たちは「使用人」の立場へと転落することになりました。

家父長的な信条を持つ宗教書の中でさえ、男性が自らの内にいる神・女神を維持するために女性が必要だという考えがまだ残っているものもあります。アレイスター・クラウリーには「スカーレット・ウーマン」が必要でしたし、魔術師サイモンにも娼婦が必要でしたし、イエスにもマグダラのマリアという伴侶がいました。ところで「マグダラの」とは「塔があるお寺の」という意味があります。これはマリアが通っていた女神神殿を指しています。

美女と野獣

家父長的存在とは、他人への支配を糧に生きる暴君です。それとは反対に、神聖娼婦は「力を共有する」存在です。タロットカードに「力」のカードというものがあります。そこには一人の女性が野獣(獅子)の口を手でおさえている様子が描かれています。この獅子は女性自身の性的・創造的な力であり、女性はそれを意図的に抑えているのです。

様々な不評がありますが、アリスター・クロウリーは当時初めて女神を受け入れた男性オカルティストの一人でした。彼は従来のタロットカードの大アルカナの「力」カードと「正義」カードの順番を入れ替え、「力」を「欲望」に名称変更もしました。

 

 

「女性司祭(2)」のカードはタロット学者によっては最も神聖なカードと解釈されることもあり、クロウリーは「欲望 (11)」のナンバーを入れ替えることでこれと同じ価値のある数字を与えたかったのだと思われます。フェミニストたちに人気のデッキである『マザーピース版』のデッキなどでもクロウリーが加えた変更をそのまま取り入れています。つまり、クロウリーでさえも美女と野獣の「女神パワー」を認めざるを得なかったということです。

「欲望(Lust)」の語源はlusterまたはLightで、宗教的な「喜び」を表す言葉です。元来は力(Strength)も、光(Light)も、欲望(Lust)も、神聖(Holiness)も、すべて同じ語源を持っているのです。クロウリーの「欲望」カードには豊満な女性の性的な描写があります。現代においては中傷の的となっている、バビロンの娼婦としての女性像(バビロン)です。

七つの顔を持つ獣(ビースト)に乗っていますが、この獅子は動物的な野性を表しています。それにまたがる女性バビロンは、偉大な三位一体女神の性的な力を表しています。その合体によって、大いなる力は実現します。

「美女と野獣」の物語において、美女は神聖娼婦として見ることができます。彼女は父親の命を救うために獣と暮らしました。そして野獣は美女に求愛する。獣は自らの醜さや動物っぽさを恥じて、死に急ごうとします。美女は彼の獣の仮面の向こうにある素顔を視て、自分のエゴを捨てて野獣に歩み寄りました。そして彼女は彼にキスをしました。すると、獣は華麗な王子に変身したのです。これは、精神と自然が融合することによる至福を象徴しています。性の力を上手に使うことで、文明全体の状態を変えることもできるということです。詩人ディーナ・メッツガーの詩『男性と一緒に寝て戦いを取り除こうとした女性たち』でも、このことが描かれています。

 

 

「女神の道」とは支配ではなく共有することにあります。

性、死、そして変容

自己実現が進み、それが完全に達する時、女性たちは高位の通過儀礼(イニシエーション)へと進んでいきます。彼女は偉大な死の太母であるムトになります。

男神オシリスとの間にホルス神をもうけた女神イシスでもあります。占星術で言えば「さそり座」です。さそり座は性と死と変容(イニシエーション)を表します。霊的進化の道を歩むなら、性愛は避けては通れません。神秘学の研究者の中には、セックスと儀式を組み合わせることで強力な魔術を使えるようになることを研究する者もいます。

愛と性は、死と関係があります。ルネサンス期の詩人たちはオーガスムを「小さな死」と呼びました。女神は単なる母や娼婦ではありません。老婆の一面、破壊者の一面、食人の一面もあります。ヒンドゥー教には女神カーリーがいます。

カーリーは一方の手で出産をしながら、もう一方の手で伴侶のシヴァの上に立ち、他の手でその内臓をむさぼります。三位一体女神の力に対する恐怖を克服すると、性と死の本来の神聖さを受け入れることができます。その果てに、人生の周期(サイクル)を真の意味で理解し始めることができるようになります。

調和のとれていない人生

現在、多くの人が「神の女性的側面」つまり女神性をもっと人々の心の中に取り込んでいかないと、世界が存続の危機にさらされることになると憂いています。我々の進化のゴールは、自分達で創り出した神と女神のイメージと同じです。神聖娼婦は光、エネルギー、そして広大な創造力を象徴しています。その正の力を抑圧すると、社会全体が危機に陥ります。詩人であり預言者でもあったウィリアム・ブレイクは警鐘を鳴らしていました。「抑制されたエネルギーは、疫病を生み出す。」私たちの世界では、創造的な性的表現の代わりに「暴力」が表現されることが多いです。テレビ番組では暴力がエンターテインメントとして一般に受け入れられています。その一方で、女性が乳児に授乳している姿をテレビに映ると、キリスト教右派から激しい非難の声が上がってきます。

「自分は無力だ」と思う男性が、女性を性的暴行することに逃げています。オーガスムを拒否する女性が無数にいます。独身を奨励する神が君臨する社会から、「良い子はそんなことしない」と教育されるからです。この偽神はいつも怒っていて、冗談が通じなくて何でも罪だといって罰しようとしてきます。男性の多くはタフガイを演じ続けており、女性の多くは「生き残るためにはそんな男性に服従して受動的に生きなければならない」と考えています。200年前、一匹狼のフェミニストで政治活動家でもあった詩人パーシー・シェリーは社会にこう問いました「女が奴隷になれば、男は自由になるか?」

SMに深く没頭したことのある人なら解ると思いますが、支配役と服従役のどちらも喜んではいますが、どちらか一方だけを演じていると、いつかは単調さや、悲しみや、危険な強迫観念でいっぱいになっていきます。いまこそ社会は神聖娼婦を必要としています。さもなければ、このまま自身を捻じ曲げ続けていき、機能不全に陥るでしょう。

女性の力を取り戻しましょう

もちろん、この時代にいきなり女神寺院など作ったら、女性たちは逮捕されてしまうでしょう。まずは女性が、自分自身を見つめ直したり、男性が女性を正しく見ることができるようになることから始めましょう。神聖娼婦を自分の人生に喜んで呼び込むことは、すべての女性が可能なことです。神聖娼婦とは、本当の自分自身を取り戻すことができた、自分の意志で動く女性です。そしてなにより、その女性は自分の体が神聖であることを思い出した女性なのです。

何よりもまず、文明を退化させているテレビや広告会社の言っていることに注意を払うようにしましょう。今の世の中、女性も男性も、「月経は病気だ」と洗脳され、本気でそう信じている人が多いです。メディアが「この商品を使えば膣を綺麗に保てる」と言ったから、自分の身体が不潔だと信じてその通りにしてしまっています。自分の身体が汚いと思い込んでしまったら、女神を自分に呼び入れることも難しくなってしまいます。

月経周期を大事にしてください。それは不潔ではありません。男性のみなさん、女性が不機嫌だからといって月経のせいにしないでください。ちゃんと真摯にセックスをしてください。古代、経血は魔法の肥料とされ、作物を豊富にとるために使われてきました。性に開放的な女性をすぐに「ふしだらな女」とレッテルを貼る洗脳機関に、疑問を投げかけましょう。

人間社会を支配している神は、どうみても幸せそうには見えませんね。神聖娼婦の精神、ユーモア、そして肉体の純粋な喜びを取り戻し、この哀れな現代の神を救済してあげましょう。女神の豊満な体を躍らせて、彼を聖なる喜びに誘ってあげましょう。すべての女性に宿る女神が尊ばれるとき、神聖な宇宙の性の神秘は再び地上に現れるでしょう。人間の女性はすべて、女神と同じだったのです。「上なる如く、下もまた然り」

 

記者ダイアナ・ローズ・ハートマン
フリーランスの作家兼アーティスト。記事や短編小説に、The Sun、The Seattle Times、The Whole Life Times、Green Egg、New Falcon Publications、bOING-bOINGなど。コンピュータゲームの台本作成やデザインから、カリフォルニア州立大学での文章作成の指導、貿易本、オカルト心理学の出版編集、執筆など多岐にわたるプロジェクトに携わる。絵や漫画を描いたり、タロットカードを読むことも得意。