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緊縛とは生け花のようなもの

緊縛とは縄を使って抱きしめていくことです。 - 有末剛 –

縄は人の手の延長です。女性は誰しも、強く抱きしめられたいという気持ちを潜在的に持っています。そして、縄を使って抱きしめていくというのが緊縛だとすると、縛られることによって抱きしめられたい、縛られることによって綺麗になりたい、という願望があるのです。緊縛によって、女性を攻める、というのではなく、お互いの信頼関係のもとに立ってコミュニケーションしていく、ということが大切かと思います。

緊縛は、例えると、生け花のようなものです。女体は、その一つ一つが違う花であり、それを縄でもって生けていく。そして、その女性のその願望の引き出しの中身を、より早く捉えて、どんどん出していってあげる、というのが緊縛なのだと思います。

緊縛の歴史

緊縛は昔より日本独自の手法をもって伝承されています。恐らくは明治以前、女囚が荒縄で縛られ引き回しの刑を受ける姿にただならぬ何かを感じた者たちの妄想が発展し、ひとつの形となったのが緊縛と言えるでしょう。過去においては荒縄・麻縄等が主流でしたが、現在では麻縄と綿ロープが使われることが多いようです。

海外でも晒し者にされる刑はありましたが、木や金属を加工した専用の拘束具が使用されたため、このような緊縛への憧憬はありませんでした。近年は欧米でも緊縛が注目されはじめていますが、日本の緊縛文化の影響がかなり大きいと言えるでしょう。

昭和時代までこの緊縛を中心としたSMの流れは決して他人には知られてはいけない変態的な性欲として闇の中で育まれ、一般の人からは忌み嫌われる嗜好でした。しかし昭和後期頃から、メディアの発達と性の自由化の中で認知・容認されるようになっていったのです。以前よりは日の当たる場所に出てきたとは云え、まだまだ闇の文化・日陰の嗜好であることに変わりはありません。緊縛やそれにまつわる嗜好の一切がいまだに背徳性を保っていることは確かな事実です。しかしながら、この背徳性こそが恥を重んじる日本人の気質と重なり、人を夢中にさせる大きな要因のひとつになっているのだと思います。

緊縛の美

この緊縛というものは変態的な性欲の根源的な意味合いを持ちますが、これだけでは性欲や嗜好を満たすには足りないところがあります。緊縛の根源である引き回しの刑も今の時代なら緊縛した上での露出プレイといえるでしょうし、当時の各種の拷問が、鞭や蝋燭・浣腸から苦痛系までのプレイに多様化し、SMという広いカテゴリーの中で脈々と生きているのも、それゆえと言えます。

そのような意味合いで四肢を拘束し自由を奪う目的だけを考えるのであれば、欧米で発達した各種の拘束具の方が合理的です。しかし、日本人の愛好家の多くは、便利な拘束具より緊縛を好む傾向が多々見られます。これは緊縛によって女体が醸し出す一種独特な美があるからではないでしょうか。この緊縛美があるからこそ、人は緊縛に魅了され、自ら縄を手にするのだと思います。

生け花が、儚い命の美を活かし、そこに一瞬の美を感ずるように、この緊縛美ほど儚い美はありません。ある女性を縛り、素晴らしい緊縛美が出現したとしても、それを永遠にとどめることはできません。再び同じ女性に同じ縛りを施しても、同じ美は現れないのです。我々はその感動を人と分かつため、写真に焼きつけたりします。しかし、どんな匠による写真も、美を目の当たりにする感動からはほど遠いものがあります。緊縛美とは、その瞬間、その場にいる者だけが享受できる、瞬間の美なのです。

緊縛とオーガズム

緊縛プレイが好きな女性の中には、『縄酔い』をしたことがあるという女性がいます。はたして、この『縄酔い』とはどのようなものなのでしょうか?

縄酔いは縛られた状態に神経が集中し、ぼんやりうっとりとその快感に夢中になってしまう状態を言います。これはいわゆる『恍惚』と呼ばれる状態です。縄で縛られる事で『恍惚』の境地に達するのが縄酔いなのです。この恍惚状態は女性によって違いがあります。心地よい快感を延々と続く女性もいれば、小さなオーガズムが何度もやってくる女性もいます。性行為での反応が人それぞれ違うように、縄酔いにも個人差があるのです。

縄酔いは縛りの技術だけで出来るものではありません。まず、女性がそうなれる環境づくりが大切です。女性は緊縛の快感に没頭できる状況へと導き、女性が望む強さで縛り、女性自身に恍惚の境地へと向かわせるのです。

縄酔いを経験すると女性はその快感の虜になると言われています。これは縛る側の男性も同じで、女性を縄酔いさせた人ほど緊縛に夢中になっていきます。緊縛というと、ハードなSMの代名詞になっていますが、本当に緊縛が好きな男女はこういうの奥深さにはまっていくのです。